推しモチベーションの棚卸し

 推しモチベーションの棚卸し、みたいなことをこの数ヶ月やっている。

 

 ちょっと前に「推し」について居心地が悪いとか言ってたくせに、その言葉を使うのはどうかと思うので、言葉を変えると「気持ち」のリソースをかけてる順番を自分で整理してつけているという感じ。

 

 「行動」のリソースはイベント参加回数や物販に行った回数、握手会の回数などで把握できるだろう。むしろそっちの方が「推し」という言葉に近いのかもしれないし、大体「気持ち」と「行動」は一致するものだろう。しかし、今の自分はその2つが一致してない。

 

 そう、「気持ち」で1位だとしている子にかけてる「行動」のリソースは明らかに少ない。もちろん「会いやすさ」の違いは大きいだろう。1位の子は48Gのメンバーなのでなかなか現場に行ける機会は少ないからだ。

 

 しかし、それだけを理由にするのはもはや無理がある。実際、他の48Gの子の現場にはもう少し行っているのだから。それに昔はしていたことでも今ではやっていないこともたくさんある。

 

 であれば、なぜそれでも1位とし続けるのか。

 

 あの時の「気持ち」をまだ自分は失いたくないからなのかもしれない。「気持ち」が変わった自分を認めたくないからなのかもしれない。それを揶揄されるのがイヤなのかもしれない。それ以上に「気持ち」をかけられる子に出会ってないからなのかもしれない。

 

 そこに結論を出さないまま「行動」だけが変化していってる。結果、「行動」のリソースをかけた子たちへの「気持ち」が強くなっているので、その子達に失礼なのではとも思う。でもそんな理由でそろそろ潮時ということにするのも違う気がするから困ったものである。どうあれ、自己満足の話にすぎないんだけども。

 

 話はちょっと変わるんだけど、今さらながらに知ったOfficial髭男dismの「Pretender」はめっちゃオタクに刺さりそうな歌詞の曲で、現在絶賛ヘビロテ中。

 

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 ヘビロテはしてるんだけど、「あの時の自分だったら相当思い入れをしただろうなー」なんてちょっと他人事感がある。今の自分はこういう「Pretender」になれてもないからだろう。いい年をしたおっさんなんだし、健全なことなんけど、それはどこかさびしいなぁとも思ってしまうのだ。