「推し」という言葉

 ちょっと前に、chuLaの蒼井聖南ちゃんの物販で、「みんなどうやって推しって決めてるの?」と、あのベルトコンベア式物販で回答するにはあまりにも時間が足りない質問をされて、「そもそも僕は『推し』てる子はいなくて……」とマジレスしようとして固まってしまった。

 気づいたら、自分の中で「推し」と「好き」は別物になっていて、あんなに便利に使っていた「推し」という言葉はなんだかとても居心地の悪いものになってしまった。そんなのは自分の都合でしかないので、あの時微妙な空気にしてしまったことは申し訳ない限りだ。

 でも、その会話の流れで聖南ちゃんも「推しメンと好きメンは違うでしょ」「推しメンになれるようにがんばる!」って言ってたし、やっぱり「推し」と「好き」は違うっていう認識は多くの人が持ってるんだろう。特にアイドルの彼女がイメージしてるのは「推し」=「支える」というニュアンスが強く含まれてるんじゃないかな。

 「推し」の方が重くて、「好き」の方が軽い感じ。「推し」の方がより尊い、みたいに邪気なく思ってる人は多そうで、だからこそ自分にとって、居心地が悪いのは、正しく「推す」ことにいささか疲れてしまって、それを投げ出してしまったからというのもある。リソース全振りなんて慣れないことを衝動の赴くままにやってしまったことに後悔はないけど、やっぱりそれなりに消耗したのは事実なのだ。

 一方で「推し」をライトな意味合いで使ってる人もいたりする。それはそれで別に問題ないと思うし、むしろそういう人の方が楽しそうだ。

 「推し」という言葉はとても射程が広く、使い勝手が良いから、ここまで広まったんだろう。最初AKBINGOか何かでそれを聞いた時は「いい大人が何を言ってるんだ」と思ったけど、いつしか自分もそれに慣れて普通に使っていた。むしろ、今は「好き」って言葉の方こそ「いい大人」が使いづらい印象がある。恋愛感情的なものも含まれるように感じられるし。そこを否定するニュアンスをこめて「推し」って使ってることもあるだろう。

 そんなに難しく考えることはない。人それぞれの「推し」があっていいのだ。ただそれを正義としてぶつけてくるのなら、そこに待ち受けているのは戦争だ。そう、僕が嫌いなのは「推してるなら○○くらい平気だろう」という物言いである。