認知されること

 今回は認知のお話。

 自分が「これが認知か……」と初めて思ったのはこの時。 

 もうすでにアイドルオタク3年目に入っていたが、「認知なんて都市伝説でしょ」とか思っていた。 この話を某方にしたら「さすがにその感覚はどうかしてる」と言われたのは懐かしい思い出。

 そんな自分もすでに認知されるということを理解してるし、それを楽しんでいる。楽しんでいると言うか、それなしではいられなくなってしまったのが正直なところだよね。どうしてこうなった……。

 いや、そんな理由は簡単でいわゆる承認欲求というやつだ。そう言ってしまうと身も蓋もなさすぎるから、もう少しリリカルに言いかえると「キミを応援してるボクを知ってほしいから」というのはどうだろう。いい年したおっさんが言うとキモいけど事実だから仕方ない。なので別に誰彼なしに認知してほしいというわけでもないのである。それはそれでうれしいけども。めんどくさいな、もう。

 なんでこんな話をするかというと、ビジュアルもパフォーマンスもとても刺さる子がいたのだけれど、どうにも認知されているという実感を得ることができなくて、モチベーションを下げてしまったことが最近あったからだ。理由はそれだけではないのだけれど、それが主因となって他のことが気になるようになったのは認めなくてはいけないだろう。つまり、自分は認知厨だったのだ。あとレスも大好き。もらえたことに自信ないけど。ちなみに○○厨って物言いは嫌い。そういうラベリングを自嘲ではなく人に貼りつけたがる人たちへの嫌味ですよ?

 それはさておき、結構頻繁に通ったし、ある程度覚えやすそうな格好をしたりの工夫をしていたつもりだったけど、モブおじさんの限界は超えられなかったのだ。悲しい。とはいえ、さすがに顔は覚えてるんだろうし、おそらく本人がそういうスタイルなんだろうなぁと思いつつ、まぁそれなら自分のことをちゃんと見てるよって伝えてくれる子に行こうかなってなるよね、うん。

 結局のところ、「認知」というのはアイドルとオタクの擬似的な「関係性」の表出され方の一つなのである。それはあくまでもオタク側が感じる実感でしかなく、アイドル側がたとえ本当に認知していようとも、それが実感されなくては「無」なわけだ。これもまたアイドルとオタクの非対称性といえるだろう。

 そして、その先には「推される」「推されない」みたいなさらにドロドロした世界が待っているわけだ。それすらもある種の実感の上だけになりたつ幻想なわけだけれども。