ガチ恋の構造ー導入編

 ガチ恋というとこの方を思い出す。

 

33man.jp

 

 と思って連載を読んだら面白すぎて、自分がこの話題に触れても面白くないんじゃないかと思ったけど、ここは自分の言いたいことを言うところだったからよいのだ。

 

 そもそも、なんで「ガチ恋」をするオタクが出てくるのだろうか。

 

「モテなくて恋愛経験が少ないオタクは優しくされると勘違いして、本当に好きになってしまう」

「同年代でそこそこ自分がカッコいいと本当につき合えるチャンスがあると思って、思い入れてしまう」

 

みたいなのが定説だろうか。

 

 それではつまらない。大体こんな偏見に満ちた単純化された言説でまとめるならこんなエントリは書かない。

 

 アイドルとオタクの間で交換される価値の中に「擬似的な恋愛感情」があるというのは否定できないところだろう。そもそも日常の人間関係で「好き」という言葉が発されることはどの程度あるだろうか。本来そこまではない。恋人同士だってあまり「好き」とか言われないとかどうとかでケンカになったりすることもあったりすると聞く(そんな記憶は遥か彼方だ)。

 

 それに比べるとアイドルとオタクの間では、メディアを通じて、ステージを通して、SNSを介して、そして直接のコミュニケーションにおいて、細かいニュアンスはさておき、様々なバリエーションの「好き」という価値が双方向で大量にやりとりされている。それ自体がすでに特殊なのだ。

 

 しかし、それは「アイドルとオタクの関係における限定的なもの」という前提が共有されているからこそ成立しているし、またその「好き」の意味の中にある恋愛感情も、現実のそれとは別物だと扱われてるからこそ、許容されていると言える。

 

 また、その「好き」は自然発生するものではなく、「オタクがお金を払う」という金銭価値が起点となって発生していることも忘れてはならない。

 

 だからここで流通されてる「好き」は、ここでしか使えない仮想通貨みたいなものといえる。それはこのマーケットの中でしか使えないし、交換されない。そして、そのマーケットで流通されることで「好き」がフィードバックされて「推す」「応援しよう」という気持ちが増幅されていく。つまり「好き」の資産が増えていく。その資産はそうした感情のループでも増えていくし、さらに金銭を提供すれば増えていくので、そこにあふれている「好き」の量は極めて膨大であろう。インフレしてるといっても過言ではないかもしれない。

 

 では、その資産は現実世界に引き出すことができるのだろうか?

 

 それはできるのだ。「元気をもらえる」「仕事や勉強を乗りきる活力」「シンプルにうれしい」などなどのポジティブな感情に変換されていくという回路がある。おそらく大体のオタクはそのようにしているのだと思う。

 

 しかし、その変換ができず、その「好き」をそのまま、現実世界に還元してしまうこと、それが「ガチ恋」のスタート地点ではないだろうか。

 

 さっきも触れたように、このマーケットで流通されている「好き」の仮想通貨の量はとても膨大でインフレ気味だ。そんな早いペースで供給されていく「好き」という感情を

 「好き」→「応援する」「推す」→「好き」

 「好き」→「現実世界の活力」

 という回路だけで消化するの結構大変なことなのではないだろうか。そこで消化できないものが、そのまま現実に溢れだしてしまった結果が「ガチ恋」なのかもしれない。

 

 その供給量をコントロールしてバランスをとるとか、そもそもの構造をメタに理解して分別をつけるとか対処方法はいくらでもあるし、みんなそうやってるんだろう。

 

 でも、実際に発せられる「言葉」の力はやっぱり大きいし、そう簡単には行かないんだよなぁ、とガチ恋経験のあるおじさんは思うのだった。