オタクは推しを選べない

 なんか挑発的なエントリになってしまったけど、オタ活の1つの見方かなと思ってまとめてみた。

 

 「ああ、この子を推していたら幸せなんだろうなぁ」

 

 自分が推してない子について、そう思うことがたまにある。

 

 すごくファン想いだったり、楽曲がよいグループでパフォーマンスがよかったり、とてもかわいかったり、特典会で話したら楽しそうだったり、オタクが幸せそうだったりなどなど、理由は色々だ。

 

 ちなみに予防線を張っておくと、推してる子や好きな子がそうじゃないとかそういう話ではない。

 

 「そういう理由だけではすぐに推せない」という話だ。初見の時や知った序盤から「よし、この子推すぞ!」と決めて、結果的に「推す」にまで至ることはなかなか難しい、という話でもある。自分の周りを見てるとそういう印象がある。

 

 オタクが主体的にしているのは「行動の選択」だ。ライブや公演に行く、握手会や特典会に行く、など。これはその行為そのものが楽しいので、その楽しさを得るために行動してる。いわば「消費者」としての行動だ。さらに一歩進むと、SNSで交流する、グッズを買う、手紙を書く、プレゼントを贈る、生誕祭などのファン主導イベントに関わる、などが出てくる。これはその行為そのものの楽しさから一歩踏み込んで、その子だから、その子のために、その子が好きだから行動している、いわば「ファン」としての行動である。

 

 そうした行動を繰り返していくことで、自分の感情の中に「好き」や「推し」という気持ちの土壌が生まれ、気づいたら「好き」や「推し」になっているのではないだろうか。

 

 もちろん、その行動の過程どころか初見で、自分のツボにはまることももちろんあるだろう。その場合は一瞬で「好き」や「推し」に到達してしまう。それもやっぱり主体的に選択しているようで、そうではない。それこそ「縁やタイミング」みたいなものだろう。

  

 そんなこともあって、自分の意志で「好き」「推し」を変えることもまた難しかったりするのではないだろうか。オタクが「好きだけどつらい」「つらいけど推さなきゃ」みたいな感じで拗らせることがあるのはそういうのが一因だったりすると思う。

 

 ただこれは手離れがいい人もいるのでなんともだし、「好き」「推し」の定義が人それぞれだから一概にはいえないんだけど……。あと、ツボではなく地雷も存在するから、それを踏んだら一瞬ってのもある。

 

 ともあれ、そうやって到達した「推し」や「好き」は大切にしたいと、ほとんどのオタクは思ってるんじゃないだろうか。だからといって何をしても何を言ってもいいというわけではないけど(ってそれはまた別の話)。

 

 ちなみにこのエントリには対置されるものもあって、「アイドルはオタクを選べない」って話になるんだけど、そっちの方が闇は深いと思うし、色々自戒しなくてはいけないところではある。うん。