君と僕の関係
前にちょっと書いた「アイドルとオタクの関係」。これはこの数年、正確に言うと自分とアイドルとの間に関係性らしきものがあるのでは?と感じた時からずっと考えていて、ずっと悩んでいることだ。
そもそも論として、そんな関係性があるのか?みたいなところから話すのはめんどくさいので、あくまでもそれがあると思われる環境、つまり「会いに行ける」48Gやライブアイドルをベースに話すことにする。というか僕がそれしか分からないし。
さて、皆さんは自分の推しや好きな子と何らかの「関係性」があると感じているのだろうか?
前の認知についてのエントリで書いたけど、自分は48オタだった最初の数年はそんなことを全く感じなかった。そういうものがあるんだなぁと思ったのは、福岡のアイドルグループに行くようになって、そこの子が自分を「個人」として認識してくれた時からだ。
よくあるパターンとしては「顔」と「名前」の認知に始まり、「たくさん見てくれたよね」「後ろにいたね」などの「当日のエピソード」の認知、SNSを掘られて「◯◯ちゃんに行ってるんだね」とさらなる「パーソナル認知」までされていく、最終的にはそのオタクとアイドル個人の「一対一のエピソード」認知に至る、といった感じだろうか。
オタクやアイドルによってはその人のポリシーから線引きをして、自分はここまででいい、と線を引くタイプもいるだろう。
ともあれ、その濃度は違うにせよ、そこに定期的なコミュニケーションがあれば、なんらかの「関係性」が生まれてるといえる。
さて、しかしこの関係性の前提はとても特殊だ。直接的なコミュニケーションをとることについてでさえ、下記の条件がある。
1.直接会える時間と場所が限られている
2.完全にパーソナルな空間ではない
3.会いに行く選択権は片方(オタク)しか持っていない
4.会いに行くためにはコスト(主に金銭)が生じる
5.会いに来てもらうことで片方(アイドル)に金銭的(評価的)メリットが生じる
お互いの情報の交換についても下記の条件がある。
1.アイドルはSNSやメール、特典会での会話、ライブMCを通じて、自分の情報を発信する
2.オタクはSNSやメールへの返信、特典会での会話、手紙を通じて、自分の情報を発信する
ここは似たような形だけど、1でオタクが受ける情報の総量と、2でアイドルが受ける情報の総量には大きな差がある。つまり1対1で考えたらそんなに大差はないのかもしれないが、1(アイドル)対多(オタク)で考えた時に、その差は歴然とする。そのため、2の場合は情報そのものが届かないケースもある(アイドル側が処理しきれない)。
そう。この「1対1」と「1対多」の関係がミックスされてるのが「アイドルとオタクの関係」なのだ。「いや、ちょっと待ってほしい。そんなの普通の人間関係でも一緒じゃないか」と言われる向きもあるかもしれない。
しかし、もっと大きな前提があるのだ。アイドルの活動が営利活動である以上、そこには対価を支払うユーザーが必要で、それこそがオタクなのだ。つまり、
「アイドルはオタクがいてこそ成り立つ存在」
なのである。
その一方で、オタクはアイドルのことが好きで、それを応援すること、推すことが楽しいわけだから、
「オタクはアイドルがいてこそ成り立つ存在」
でもあるのだ。
そういう意味ではいわゆるステークホルダー(利害関係者)だし、もっと偽悪的に言うと共犯関係ともいえる。
改めて整理してみると、この関係がどれだけ不安定なものかわかる。そして至るところに非対称性が存在していることも。もちろん、普通の人間関係も様々な非対称性に彩られているんだろうけど、「アイドルとオタク」はすでにそのシステムからそうならざるを得ないことを強要されてるわけだ。
しかし、それでもそこに「関係性」は存在しているのだ。ただ、そこで重要なのは客観的な事実よりも主観的な実感なのだ。そもそも人の感情なのだから客観性など測定できない。
そこから何を「実感」するのは人それぞれだし、どんな言葉か交わされたとしても、あくまでも金銭的な価値交換の上に成り立ったものなので、それを額面通りに受け取って実感してしまうのは未熟と言われても仕方ないことなのかもしれない。
ただ前の「ガチ恋」のエントリでも書いたけど、「好き」という言葉の力はやっぱり大きいと思うのだ。それはオタクから発せられるそれも同じことだと思う。「支える」なんかも同じようなものな気がする。
さて、改めて問おう。皆さんは自分の推しや好きな子とどんな「関係性」があると実感してて、相手はどう思ってるんだろうか?
ここで大事なのは客観的な事実ではなく、この極めて非対称性の強い関係の中で見つけたもののなかから自分が何を選ぶのか、それが一番大きいと思う。そして、それを選ぶのはオタク側からもアイドル側からも、「信じる」ことが大事なのだ。
そう、さっきの質問はこう言いかえてもいい。
「あなたはそれを信じているのですか?」
と。